高次元が持つ世界観は一つという事実
これは身に見える物質的な価値観が当たり前の人にとっては聞き入れたくない事実かもしれませんが、冷静に考えれば当たり前のことです。
なぜならエネルギーの世界に解釈の違いなんて現れようがないわけです。
例えば母親が生まれたばかりの我が子を愛おしそうに眺めている光景をみて、あれは幸せを装ってるなどと解釈できますか?
微笑ましい笑顔になるエネルギーを発しているはずです。そこには受け取り方の差があるだけで方向性に大きな違いはでないのがエネルギーで見た場合の現象です。
実は人間の価値観の違いや事実の認識の違いという個別の世界観(他者と共有できない)というものは人間の肉体がもつ「欲望」「逃避」つまりあれが欲しい、こうあってほしい、これが嫌だ、やりたくないという性質から生み出されるものです。
私は魂の感覚が分かる人なので、そこで表現すると自我(魂)が求めていることでないと表現します。
古事記でイザナギが黄泉国(この現象界)の腐乱してウジが湧いた存在を汚らわしいと逃げたのはこの肉体がもつ、エネルギーのことを言ったわけです。
なぜなら魂は汚れないので、肉体の性質を汚らわしいとなるわけです。(もちろん肉体の性質は道具として使うもので必要なものです)
ちなみに古代では生贄という風習がありましたが、これは魂が肉体のもつ陰の性質(欲望)を糧にして成長やエネルギーを産むというところから物質(肉体)を捧げるわけです。あくまで本体は魂であり、肉体は入れ物でしかないわけです。
話は戻りますが、善悪や優劣ではなく、人間が持つ個別の価値観や個別の世界観は魂がでなく肉体が持っている基本機能から生まれるものです。
そしてその状態の人には何を言っても伝わらないので、高次元も何も言いません。サインという形で痛みから学ぶまで放置というのが正しいかもしません。
高次元の存在は魂が求めていること「決断」は尊重し協力しますが、肉体から発する「欲望」に関しては何も言わず、サインを出して気づくまで待つだけです。
はっきり言うと高次元の方が厳しいです。(笑)
ちなみに魂が求めることは何かを断つことで結果を引き寄せる「決断」であり、肉体の求めることをすぐに結果を求める「欲望」「逃げ」です。肉体は「断つ」ことはできません。
神道では魂の性質を剣や太刀で表すことで分かるように「決断」は魂ができる選択なのです。
何かを先送りしたり、ベストを選択できるのに言い訳して9割くらいでも効果あるならいいやと妥協するのは肉体であり魂の作用ではありません。そして高次元はそこに対してこうするべきという「餌」を与えることは絶対にしません。あくまで魂の感覚で自ら断つ「自立」をするまで待ちます。
ちなみに肉体が覚醒して魂の感覚で生きれるようになると本当に「いいわけ」を選択しなくなります。なぜなら魂は疲労しないので逃げようと思わないんです。
実は岩戸開き、ミロクの世という次元上昇はこの肉体を覚醒させ、身体の中に魂を納めることで起きます。
冗談みたいは話ですが、実は魂は肉体の中にシンクロとして一般的に5%程度しか納まっていません。(笑)
(言霊と数霊、仏教としての数字を学ぶと伊勢神宮にその事実が示されています。)
だから脳が3~5%しか使えないし、DNAも5%程度しか解明できずに90%以上がジャンクなんて言われているわけです。
話が長くなりましたが、まとめると高次元と言われるエネルギーの世界ではエネルギーを事実のままに受け入れるので世界観は共有できるものが一つあり、そのエネルギー体の次元により理解できる範囲が違うだけの話です。
そして人間がもつ偏った世界観や個別の価値観は肉体の欲求から発した「言い訳」から作られています。
ちなみにこれらは古事記や仏教の経典や色んな古代の叡智に示されているので私の「個人の世界観」ではありません。
私は高次元と共有できる世界観は欲しいですが、自分の世界観は全く必要ないタイプです。
ただ他の人がどういう世界観を持っていてもそれを非難も否定もしないので悪しからず。(笑)