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もちろん、根本的に根に持ってしまう性質の人はいるし、ここは議論せずとも多くの人が理解できるので触れませんが、問題は根に持たれる人に原因が多くある場合の例です。

よく終わった話だからと片す人は、同じ話をする人に対して根に持つというレッテルを貼る場合があります。(根に持つタイプの人は論外です)

しかし、私が思うに時間と状況が違うだけで本質的に同じ問題を起こしていると理解している人からしたら、その例を引き出して話さないと、その問題の重大性が伝わらないので話を出すことがあると思います。

言われる側が前回の問題を乗り越えていないのに、終わった話と片して、また別の問題を起こしている場合は、そもそも解決されていないので、何度でもその話が脳裏に浮かぶわけです。

人は最終的には現象が起きる原因というかその時に感じるエネルギー(感情)で判断するからです。

ただ目に映る現象は違うが本質は同じという視点で見れないことで起きる被害者意識ならば、伝える側はその本質を伝える努力が求められると思います。

つまりどちら側にも分かり合うための努力は必要という事ですね。

そしてこれは自分に対しての戒めでもありますが、自分の言動で誰かの記憶に嫌な想いを残したなら自分都合で勝手になくせるものではないということです。

日々の一つ一つの言動を大切に生きていくことが求めらえれますし、これが本来の徳を積むということでしょう。

言葉を紡ぐことが徳でありゴミ拾いや掃除することが徳を積むではないわけです。(掃除は徳以前の重要なものです)