これはとても重要な話であり大切な価値観、しいては在り方です。
意見というものとわがままが混同している時代だなと感じています。
その「意見」がもし自分の事しか考えてないならばそれは言うべきではなく、それを自覚している人はコントロールして言挙げしません。それをいう事が正義だという人がいますがそれはやはり分別がついていない子供と思われても仕方ないでしょう。
口に出す言葉にも責任が伴いますし、その発言が自分だけでなく、周りの立場でも考えられていないと、それは意見ではなく、わがままでしかないのです。
そんなわがままを果たして、周りの人が聞く義務があるのでしょうか?
わがままを聞くために自分の貴重な時間を割く必要があるのでしょうか?
私はともかく人にそんな苦痛を押しつけることはできません。
ちなみに周りの立場で考えている「つもり」ではだめで、言語化として他者に理解されるように表現する責任もあります。もちろん、言葉以外でも想いは伝わるので、言語化が全てではありませんが。
そしてもう一つ大切なことはもし自分に関係が深い人がわがままを言っていたとしたら、それを厳しく諭すことも時には必要だと思います。厳しい事をいうことは言う側もストレスがかかりますが、そこから逃げる姿勢は、自分にとっても良くなく、そのツケは必ず自分に返ってきます。それは問題の先送りでしかないからです。
優しさと甘やかしは似て非なるものというか真逆の物です。優しさを実行するには時に厳しさが求められるのです。それはまさに大自然のはたらきとよく似ています。
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