LOADING

コンテンツ CONTENTS

現在の私が感じている違和感は大きな会社の経営者や物理学者などの論理的思考の持ち主も神仏の話になるといわば過去のご先祖にあたるような神や仏の名前を出して、繋がるような話になるのです。(もちろん、ご先祖様への感謝は基本中の基本)

神道、仏教や物理、その他の古代の文献を言霊や数霊で理解していくと、どう考えても光子や電気の働きに行きつくわけです。大八島という図から作られるカタカナの成り立ちも神とは用(はたらき)となっています。出なければ身体に指令を出す線を「神経(かみのみち)」なんて呼び方はしないですしね。

(確かに巫女が高次元(6,7次元以上)の存在を下すことはありましたが、これはフトマニや祝詞を作るようなアカシックレコードの叡智を使うときでしょう。)

さらに以前の記事で魂と心と体が三位一体で心が神経を通して肉体を動かすと言いました。あくまで魂が肉体に入り心を通して肉体を操作するわけです。

別の視点では神が電気と光子の用きという視点は抜きして考えた場合には肉体にとって神とは己の魂のはずです。

もともと神人合一とは魂が心を通して肉体と一致することですからね。

どこからどう考えてもこの世は私たち自身が主役であり、外部の高次元の神に何かを願って人生を楽することではないと思います。

正直、身体と心を整え、本来の人間の力が発揮されている状態なら病気も治せるし、いつも明るく楽しく、どんな試練でも乗り越えられます。他の見えないところで高次元の存在がそっと助けることはするでしょうが、我々の成長を妨げるような甘やかしは絶対にしないでしょう。

我々に自由意志が与えられているからには我々が自らの選択で道を開いていかないと意味がないからです。