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元来日本ではというか、古代では時間は未来から流れているものと捉えていました。

だから「未来」は未だ来ぬであり、過去は過ぎ去ったとなっているわけです。

これはすべてに使える思考法なので、覚えてほしいのですが、そもそも未来から時間が来るものでないなら、「想像」「希望」「願い」「祈り」という言葉が存在できないはずです。

なぜならこれらはすべて未来に向けた思考だからです。そして過去から時間が進むなら未来は完全なる「無」であり、イメージすることすら叶わないからです。

江戸時代の人がスマホや飛行機をイメージすらできないと一緒です。そもそも存在しないものは想像すらできないわけです。

そして未来から思考が流れてくるから「選択」ができるわけです。これが人として生きれる根拠になります。

例えば時間という認識がない生き物は目の前に起きる現象や感情と欲求によってのみ動きます。危険が迫れば逃げるし、お腹がすいたら食べます。未来を想像して準備や計画を立てることはありません。

そしてとても厳しい事実は時間軸がないと想像が生まれず長期の「願望実現」も叶いません。

そして時間軸をとても短くし、無くしてしまう習慣がスマホ中毒や甘い物、ジャンクフードの食習慣です。すぐに何かを得られる「肉体的報酬」が人だから持ち得る「時間軸」と「想像」を奪ってしまうのです。