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以前にも在り方とは習慣で陰をエネルギーに変えることと少し書きましたが、さらに深堀したいと思います。

まず言葉として現象界に存在しているならばそこには明確な意味があるはずです。

殆どの人が漠然とした正しい行いをする人、人として好きになれる人を在り方が整っていると思っていると思います。

ただやはり以前も書きましたが、在り方と人の感情は関係ありません。

例えば見た目は気難しそうで話も弾まないし近寄りがたくとも、毎日、街や公園の掃除を黙々として整えて他者が過ごす空間を綺麗に維持していれば、他者にいいエネルギーの影響を与えています。これが純粋な「整った在り方」です。逆にとても人当たりが良く気さくでも人が見ていないところでゴミをポイ捨てしてればこれも「整っていない在り方」です。さらに言えばすごく人当たりがよさげな人でも八方美人で内面で無理をしていればこれもエネルギーを下げるので整った在り方ではありません。

整った在り方と言うのは陰の出来事が起きたときに、それに向き合いエネルギーに変換する習慣のことです。

もちろん、ここに自他ともにエネルギーを下げたり、争いを起こす在り方もあるし、その逆に自他ともにエネルギーを高めることもあります。

もっと言うと陰に陽のエネルギー加えて陰陽合一でエネルギーに変換できる在り方が整っていると言えます。

むしろのこの世の試練はこの陰の燃料であり、これに陽の想いや入れて現実を創造しエネルギーに昇華するためにあります。そしてそれは言語で行うので実は「徳」の意味を表します。

だから身体が重たい感情や物質という概念を感じる装置になっているのです。

(量子論の世界では時間も空間も物質も人の認識でしかないことはわかってきています)

在り方とはエネルギー変換ボックスだと思って現象界の出来事に向き合ってみてください。