我々が認識している物質は質量があるため時間空間の制約を受けます。
実はこの制約は損失という苦しみを産みます。
これは質量があり時間と空間の制約を受けるものは時間という認識を含めて減っていく方向にしかないので分かち合うことが苦しみになります。
そして生み出すのはとても時間と労力がかかるのでコスパを重視することになります。
物質的感覚に囚われている人ほど、金と物質に困り、常に焦って忙しくしています。
ちなみに本来、物質は分かち合う対象ではないものだと考えます。物質ではなくそれに伴って発生する感情を分かちあうものなのです。
物質的なものは十分に自分が満たされた上で分かち合うことで、本来の目的が達成されます。自分が満たされていない分かち合いは犠牲なり、いつか破綻します。
そして分かち合いで無限に増えていくものが時空の制約を受けない愛や感謝という感情です。
キリストがパンを分けて増えていった話は無限に分かち合える慈愛を意味しています。
感謝や愛は質量がないので時空の制約もなく、無限に分かち合うことができる。
時空の制約をうける物質至上主義で生きることは常にコスパを考え減ることを意識し、奪う奪われるの勝ち負けの思考になり、弱肉強食の世界に生きることを意味します。
ここからは愛や感謝、慈しみという高エネルギーは生まれることはなく、餓鬼道、畜生道、修羅道で常に何かに焦り、怯え、善悪、優劣と他者との比較の世界で生きることになります。
なので求められるものはこの世界で物質を生み出していく法則に則って正しく生産していく、思考を持ちながら、自らを満たす力を養い、他者と分かち合うことに真の喜びを感じれる霊性を両立することだと思います。
この物質世界ではどちらかだけでは決して幸福は訪れません。
そして物質に囚われにない霊性を磨くにはやはりこの身体をとおして習慣を正していくことしか最短の道はありません。